戴冠式前夜

頂きを目指す彼等の背中

あなたが私の一等星


 色々思うところがあったので、私の中でもやもしたことも含めて全部此処で吐き出したいな、と。皆が同じ意見だとは思っておりませんし、だからどうだ、と言いたいわけでもありません。ただ、私が吐露したいだけの想いです。

 今の私にとって「髙木雄也」と言う存在は一番です。仕事を頑張れるのも、休みの日にストレスを解消するのも、普段からの楽しみも髙木くんの存在が大きく関わっています。でも突き詰めれば生活の基盤と言うわけではなく、あくまで「好きなもの」と言うカテゴライズにある存在。それはきっと消費する側とされる側の関係で、決して交わらないラインなのだと思います。
 髙木くんは人生を掛けて「今」を歩んでいる。その隙間を私は覗かせて貰っているだけ。だから本当は「もっとこうして欲しい」なんて要らぬ話なんですよね、それでも「アイドル」は消費されるからこそ成り立つ仕事だと思います。だからこそ髙木くんや、Hey!Say!JUMPのメンバー、ジャニーズは「ファンあっての僕ら」と言ってくれる。消費する人間がいなければ、消費される人間の存在意義もなくなる。それも最もなんです。
 だからこそどうしても消費する側の人間は横柄に、ワガママになっていく。彼らのプライベートを暴いてそれすら娯楽にしてしまう。でも彼らだって「アイドル」と言えど「人間」で、きれいな部分もそうでない部分もある。それをどうしても「人間」ではなくて「アイドル」として見てしまうから不平不満が爆発する。「アイドル」をする以上演じきるべきだ、と言う言葉も分かります。それを仕事に選んだのだからしっかりこなせ、と言う意味も分かります。それでも24時間、365日、死ぬまで演じきるなんて「人間」にはできない。なら何時彼らの「アイドル」としての舞台は終わるのか?結局終わらない。幕引きは最期、なんてそれこそ無茶苦茶ですよね。
 それでも彼らには終わりは無かった。デビューしてしまえば「不祥事」以外の脱退や解雇はほぼほぼあり得なかったジャニーズに、今回の出来事。始めは私も「何で」「どうして」と戸惑い悲しみました。それでも辞めると決めた以上覆らない。
 私が強く感じたのは「アイドル」の不安定さでした。今までのジャニーズには「デビューすれば安心」なんて思いがあって、自分がファンではなくなったとしてもこの人はアイドルであり続けるんだろう、なんて当たり前のことのように思っていました。でも違った。本当は彼らにだって辞める権利も、離れる選択もあるんですね。彼らだって人間だから、仕事を辞めたいと思うときもあるでしょうし、違う仕事をしたいと思うときもあるでしょう。私だって今の仕事を辞めたいと思うときもありますし、違う仕事をしたいと思うときがあります。私と彼らは立場が違う、なんて、そんなことないんですよね。結局選んだ「仕事」が「アイドル」だっただけで彼らにも「辞める」と言う選択肢がある。その事に漸く気付きました。
 多分彼らも、その選択肢が選べるとは今まで思っていなかったのではないかな、と思います。暗黙のルールのように遠ざけられていた言葉、それが少しずつ露になってきている。そうなると正に不安定な世界になる。デビューしていても、笑っていても、仕事をしていても、もしかしたら明日彼がこの舞台を降りるかもしれない。私が当たり前のように消費してきた「アイドル」は終わりなく続く帝国ではなくて、あっけなく崩れてしまう空中楼閣だった。そう気づいた時に愕然としました。
 髙木くんは私の一等星です。
 眩しくて綺麗で、見ているだけで幸せになれる、そんな存在です。でももしかしたら明日には爆発してしまうかもしれない、そして見えなくなってしまうかもしれない。そうなった時悲しんで、泣いて、それでも私の日常はかわらない。それが一番恐ろしい。一等星だと讃えておきながらも輝きを失えば、自分がその輝きを見出だせなくなれば私は髙木くんを見失って、忘れて、生きていけるのだと思います。消費する側のエゴを押し付けて食い散らかしておきながら、手を合わせて「ごちそうさま」と言えば終わってしまう。そんな一方的な関係。
 だからこそ、彼らが進む未来に、分かつ未来に私は笑って、泣いて、もしかしたら怒って、罵詈雑言を浴びせて、それでも最後には手を叩くしかないんだ、と思いました。一等星が一等星であり続ける以上、私は毎晩見上げてその輝きを確かめたい。そうして、何時か燃え尽きるその日まで、その輝きを網膜に焼き付けて、決して忘れたくない。
 今、髙木くんを見るたびに「ああ、好きだな」と強く思います。髙木くんに触れる度にその輝きに目を奪われ、心を掴まれ、感情を揺さぶられます。私は髙木くんが一等星であり続けてくれるなら永遠に消費していきたい、消費する人間がいるからこそ成り立つ方程式をたった一人になっても成立させたい。そしてもし彼が燃え尽きたなら、泣いても怒っても、罵詈雑言を浴びせて詰ったとしても最後は「やっぱりあなたが好きだった」と言えるファンでいたいと思いました。
 「ファン」も「アイドル」も永遠を約束されないなら、少しでもその人生が永遠に近づくように私は目を凝らして、ずっと髙木くんを見ていきたい。だから今を、明日を、数ヵ月後を、約束されている未来を大切にしていきたい。そうやって私は髙木雄也を応援し続けたいと思います。

 本当に思うまま書いてしまって読み返したくないし無駄にポエミーだしでこりゃやばいな…と思ったんですがここ数日の出来事に漸く見つけた私の答えです。朝起きて「ああ今日も髙木くんが好きだな」と思える自分は、ファンとして誇っていいのかな、と少しだけ思います。